(その1)
思い出話を書こうとしています。でも思い出せないのです。
「思い出」がないのに何を書こうとしているのか?、・・・それはウクレレで使っている楽譜のことなんです。
高校2年生の秋にウクレレを買いました。「ルナ」で¥800- でした。このいきさつについては この思い出シリーズの「ウクレレ(出逢い)」で書きましたのでお読みいただけるとうれしいです。
夢中になって練習した記憶があります。勉強もしないでウクレレばかり弾いているものだから母親からよく叱られました。勿論独習です。
思い出そうとしているのはどんな教材・教則本を使ったのか、その中身(内容)なんですが、残念ながら思い出すことが出来ません。
私は20年以上にわたる長いウクレレ空白期間を経て50才代半ばで教室に通い始めました。21世紀に入ってからのことです。なのでその時の講師が最初の師匠と言えるわけですが、自分的にはもう一人師匠がおります。自分では「心の師匠」と呼んでいます。後年、池袋で日本ウクレレ・スクールを主宰していた 渡辺直則 先生です。初めてお会いしたのはもう私がもうすぐ還暦という時で、もう別の教室で K・K 先生に師事していた時です。それなのに何で「心の師匠」と呼ぶの?、 いきさつはこうです。
(その2)
今では考えられない事ですが、当時(私が高校生の頃です)ラジオ番組(全国放送ですよ)でウクレレの番組があったのです。
番組名は「ルナ・ウクレレ・スクール」だったと記憶します。番組名はスポンサーからきています。そう、ルナ・ウクレレです。ウクレレ・メーカーがラジを番組を提供する、そんな時代だったのです。
青森の片田舎で5球か6球の真空管ラジオで聴いたのです。東京の電波を受けているわけですから雑音がピーピー・ガーガー。耳を研ぎ澄まして聴き入りました。
渡辺直則先生と女性アナがお話をしながらハワイアンミュージックを紹介したりするのですが、最後に渡辺先生がウクレレ・ソロを弾くのです。その音楽ジャンルはハワイアンだけでなく、特に私が感心したのはジャズの曲をよく弾かれました。新鮮でした。牧 伸二しか聴いたことのない田舎の高校生にとっては驚き以外の何物でもありません。
ウクレレへの関心が強まったのはこの番組、渡辺先生のおかげです。
記憶が定かではないのですがこのラジオ番組と連携したウクレレの通信教育があるという情報を得て申し込みをしました。監修は渡辺直則先生です。申し込んだところ何回かに分けて教材が送られてきました。
教材は冊子本の他に音源がついてきたのです。現在では教則本や楽譜集にCD音源がついていても驚きもしませんが50年近く昔の話です。当時としては画期的だったかもしれません。媒体はソノシートでした。
今の若い人はご存じないと思いますが、ソノシートというのはまあ簡単に言うとビニールのような柔らかいものでできたレコードです。レコードプレーヤーで再生するわけです。自宅にレコード・プレーヤーはなかったと思うのでどうやって聴いたんでしょう。う~ん、思い出せない。聴いたのは大分後になってからかも?。
(その3)
いずれにしても、私がウクレレを“そこそこ”に弾けるようになったのはこの通信教育のおかげです。教材は初歩的なことから始まり、ウクレレ・ソロの初級までを網羅していたと思います。ソロはピッキング・スタイルでした。「川は呼んでる」(フランス映画のテーマ)などが入っていたと記憶します。
この教材がどんな楽譜で書かれていたかがまるで思い出せないのです。
ここで、若い人は今疑問に思ったでしょうね。
「ウクレレの楽譜ってタブ譜でしょう!!」
う~ん、ちょっと回答に窮します。50年ぐらい前のことを思い出そうとしているのです。タブ譜がウクレレ界で広く使われるようになったのは最近の事でなんです。その歴史は20年そこそこ、私が教室に入った頃ようやく広く使われだしたと思います。タブ譜は大昔からあったものだそうです。ので、限られた人たちの間では使われていたかもしれません。限られた人たちだけでなく普通の人たちも使うようになったという意味で「広く」です。
そこでです、私はいま手元にある古い楽譜集などを見ながら推測をめぐらして、自分なりに思い出す作業をやってみたいと思います。ウクレレ楽譜の歴史を追いかける作業となるかもしれません。お時間のある方はお付き合いしてくださるとうれしいです。
(その4)
渡辺直則先生には著作があります。1998年に初版が発行された 『 いつでもどこでも ウクレレを弾こうよ 』です。しばらく絶版になった時期もありましたが、2011年に復刊されました。現在でも入手可能です。左が初版本、右が復刊本です。
私がウクレレを買って弾き始めたのが1965年です。この本が出版される30年以上も前の事です。同じではないでしょう。渡辺先生が書かれる楽譜も時代と共に変化はしているとは思います。でもどこか“コア部分”というか、同じところがあるんじゃないでしょうか。この本の第3部は 「ウクレレ・ソロでメロディーを弾こう」 となっていますが、この章の中で「タブ譜」が紹介されています。タブ譜という名称が明確に使われています。
この中で、“タブ譜の表記のしかた”という説明があり特徴的な表示が出てきます。こうです。
ハ長調の音階(Cメジャー・スケール)ですが普通は下のように書けばすむのです。
渡辺先生の表記は一見数字がいっぱいで見にくいのです。それとコードの付け方が面白いですが、これは完全にウクレレ・ソロ、それもピッキング・ソロを意識した表記ですね。
先生はこの本で
**********************
「ウクレレ・ソロ」はただ単にメロディーを弾くのではなく、主としてコードの中からメロディーをピックアップする方法になります」
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と言っています。
私は、上手下手は別にして、早い時期にピッキング・ソロ・スタイルを覚えました。「タブ譜」という名称には全く記憶がないのですが、私が学んだ渡辺先生監修の通信教育教材ではおそらくこの 「 いつでもどこでも ウクレレを弾こうよ 」 と似たような説明があったんだと思うんです。そして、私は「コードを押さえてその中からメロディーを紡ぎだす」という奏法を学んだんだと思います。ビデオも何もない時代にピッキング・ソロ奏法で弾くのは、特に私の場合は誰かに教わらない限り弾けるようになりません。「タブ譜」という名称が使われなかっただけかもしれませんし、あるいは私がその名称を完全に忘れ去ってしまっているのかもしれませんね。
(その5)
ピッキング・ソロ・スタイルはウクレレ・ソロでも伝統的・オーソドックスなスタイルです。でもウクレレ・ソロはこの弾き方しかなかったんでしょうか。そんなはずはありませんね。さまざまな奏法・弾き方があるのがウクレレの面白さでもありますからね。
それでは、ここで私が所有しているもっとも古いウクレレ・ソロ楽譜を見てみることにしましょう。
左が 『 バッキー白片 ウクレレ・ソロ 』、 右が 『 バッキー白片 ウクレレ・ソロ独習 』
著者は言わずと知れた日本の 「ハワイアンの父」 バッキー白片 です。発行は 「日本音楽出版(株)」 (今はもうありません、同名の会社が存在しますが別会社のようです)。
発効日は書いていないのですが著作権マークが両方とも1967年となっていますからその辺りなんでしょう。ちょうど半世紀前のものです。そろそろ本の体裁は失われてページがバラバラになり始めています。価格は左が¥350-、右が¥450-です。
発行年からすると私がウクレレを買った2年後です。右の楽譜集2冊分で私が買ったウクレレが買えますね。ちょっと複雑な気分。日本橋・三越でショーケースに入っていたんですけどねぇ。
まあそれはそれとして、引越しも多かったのによく大事に持っていましたね。自分でも感心します。物を捨てられないのはわたしの性格なんですが明治生まれの母の影響でしょうか。母は包装紙・紐など、捨てることなく保管していましたから。
さて、とても古いウクレレ・ソロの教則本、ここでは楽譜はどのように書かれているんでしょうか。
(その6)
バッキー・白片のウクレレ・ソロ教側本ではこんな楽譜が書かれています。
現物をコピーしたほうが現実味があるのですが、色あせていることと鮮明に映すことが出来ないと思いましたので、私が “その通り” に書き写しました。
『 え~っ、これって五線譜じゃないのぉ~ 』
そう、確かに五線譜です。でも五線譜の上のダイアグラムに注目してください。ただのコード・ダイアグラムではなさそうです。それになんでこんなに沢山書かれているんでしょう
五線譜だけならタブ譜で次の様に書くことも出来ます。
ところが上のダイアグラムを考慮したうえで、タブ譜に書いてみるとこうなります。
なるほど、ダイアグラムがいっぱいあったけどこれは指(左右の指)の使い方の指示なんですね。
ダイアグラムの下のかぎマークは重音(複数の弦を弾く)での表現を意味しているんですね。で、この小節では出てきてませんが単音の場合は 弾く弦を矢印( ↓ )で示すんです。そして、“ 音の長さ ” は 五線譜の音符 からそれを読み取るというわけです。
(その7)
『そうかあ、こんな楽譜もあったのか。バッキー白片がこれを書いたという事は、タブ譜はまだポピュラーじゃなかったということですね。よく分かりました。でも結局五線譜を読めなきゃだめっていうわけね』
そうなんですね、この方式、名前は 「ダイアグラム譜」 というのですが、五線譜を読むことが必要ということです。でも、よくよく考えてみるとタブ譜を読むためにも五線譜で使用される音符・休符やら色々な音楽記号が理解できていることが前提としてあるるわけですから同じことです。いずれの場合も基本的(必要最小限)な五線譜の理解は必要なんです。
バッキーがこの楽譜を書いたのは、彼がこういう楽譜を使っていたというわけではないと思いますし、タブ譜を知らなかったわけでもないと思います。バッキーはスチールギターの第一人者、スチールギター奏者はコードの知識が他の楽器の人より深いですから五線譜だけでウクレレ・ソロをこなせたと思います。この様な楽譜を書いた背景には、「ウクレレ指導者としての彼の考え方」が出たものだと私は理解しています。「ダイアグラム譜」は指の使い方がタブ譜よりも更にビジュアルで断然分かりやいので、初級者向けと言ってもいいのです。
今は当たり前となってしまっているタブ譜ですが、タブ譜を読みこなすためにはコード・フォームの理解、例えば同じコードでもハイポジション・コード(複数あります)を知っているなど、ある程度のウクレレ経験が必要となります。そこそこの経験者でないとウクレレ・ソロに挑むことはなかなか難しいものです。ウクレレ・ソロの楽譜は今や掃いて捨てるほど売ってます。でも、ウクレレ経験の浅い人が楽器店でソロの楽譜(タブ譜)を買い、結局机の上に山積み、という光景はよく目にします。
一方、「ダイアグラム譜」はコード・フォームを書いてくれているので、経験の浅い人(当時の私のような)でも取り組むことができるのです。(その6)に書いた4小節の楽譜、最初の「ダイアグラム譜」はちょっとウクレレをかじった人なら挑戦できそうです。3番目の楽譜(重音を表現したタブ譜)は数字列を見てコードを判断するなど、コード・フォームをよく知らないと弾けませんね。バッキー・白片はおそらく初級者にもウクレレを楽しんでもらおうとしてこの方式で楽譜を書いたんだと思われます。
バッキーの「ウクレレ愛」 が感じられます。この方式で書かれた楽譜はバッキー以外では見たことがありません。
(その8)
このバッキー白片のウクレレ・ソロ楽譜、50年も持ち続けています。若い頃はこれを見ながらよく弾いたのです。勿論、『難しいなぁ~』と思いながらです(今もそう思ってますが)。出来ないところは 「ここはアレンジ!!」 などど言い訳して重音を単音で弾いたりしました。
バッキーはスチールギターの大御所でそのチューニング、演奏は「バッキー・スタイル」として有名です。一方ウクレレ奏者としても名手です。そしてウクレレ指導者としても素晴らしいと私は思います。このことはもっともっと強調されていいんじゃないでしょうか。日本のウクレレの先人は 灰田有紀彦 氏だけじゃないんですよと。
ピッキング・ソロ・スタイルは原則としてメロディーは単音となりますが、バッキーのこの奏法はメロディーを重音も混ぜてで表現するのが特徴的です。奏法の違いが明らかです。この楽譜で私が重音での表現を経験したことは後年ウクレレを再開し、「タブ譜」に接した時に役立ったと思います。ピッキング・スタイルでウクレレ・ソロを覚えた私ですが、メロディーを重音で表現することには違和感はなく、当然のこととして受け入れられましたから。
でも、弊害もあります。若い頃よくお世話になったこの楽譜ですが、後年タブ譜に本格的に接したときすぐそれになじめなかったのは相当の期間「ダイアグラム譜」に親しんだからでしょうね。
ちなみにこの楽譜、数十年の時間経過を経て近年復刻されました。今でも購入できるはずですよ。
(その9)
前にも言ったように、私のウクレレ・ソロ楽譜のイメージはこの「ダイアグラム譜」表記方法で固まっていました。
30才・40才台は私のウクレレ空白期間、新しいウクレレ情報に接することもなくすごしました。このため、50才台半ばでウクレレを再開した時の私のウクレレ・ソロの楽譜イメージは「ダイアグラム譜」でした。
勿論、ピッキング・ソロ・スタイルでソロ演奏することは20年以上経ってますが手が覚えていたので間もなく弾けるようになったのですが、私にとってソロの楽譜イメージは何と言ってもこの「ダイアグラム譜」です。まあ、もっともそれしかウクレレの楽譜がなかったわけですから当然といえば当然なんですがね。
自分でも何曲も書きました。これが大変なんです。まあ、いってみれば音ひとつにダイアグラムもひとつ書かないといけないわけですからね。今だと ダイアグラム・スタンプ なんかがありますが当時はありません。すべて手書きです、大変です。五線譜も手書きで書く場合、更にダイアグラムもほぼ音符の数だけ書いて行くわけですから苦痛以外の何物でもありません。
ウクレレを再開した時はもうタブ譜が使われ始めていました。私は当初それになじめませんでした。「ダイアグラム譜」を長く見続けたためでしょう。
タブ譜がウクレレ界でも広く普及したのは、ギター奏者の影響だと思って思っています。
20年ほど前ウクレレがブームとなった時、多くのギター・プレーヤーがウクレレの世界に参入してきました。今ウクレレ界で活躍している人たちは大半はギターから転向してきた人たちです。あっ、「転向」という言葉は間違いですね。「間口を増やした」人たちです。恥ずかしながらギターの楽譜についてはほとんど見ることもないのですが、特にポピュラー・ミュージックの世界ではタブ譜は一般的に使用されているんだと思います。
時代と共にプレーヤーにとってはより弾きやすい楽譜に変化していって当然です。ウクレレ・ソロ(ここでは重音を混ぜての「メロディー弾き」ぐらいの意味)を身近に感じられためにも、これからも工夫が求めらると思います。
(その10)
ところで、教室に通ってくる生徒さんの中には
『 ウクレレで「楽譜」を使うとは聞いていませでした!! 』
とおっしゃる方が沢山いらっしゃいます。おそらく、ウクレレが少しできる友達から
『 ウクレレって楽譜がなくても楽しめるのよ~ 』
と言われて、『それじゃあ』とやる気になったのでしょう。
世間一般のこの認識、個人的にはウクレレという楽器の正当な評価を妨げるものなので嫌なのですが、本当の事でもあります。このことに否定的な反応をするのではなく、肯定的に考えたいと思います。楽譜がなくても楽器が楽しめるというのは素晴らしいことなんです。
ウクレレという楽器、メロディー楽器でもあり、ハーモニー楽器でもあり、リズム楽器でもあります。メロディー・ハーモニー・リズムは学校でも習うように「音楽の三要素」と言われるものです。ウクレレという楽器、小ぶりとはいえこの「三要素」を満たしているので「無伴奏独奏(ウクレレ・ソロ)」が可能となるのです。
でも音楽はこの三要素が全てないと楽しめないんでしょうか。そんな事はありませんね。この3要素を出来るだけ省くと楽譜はいらない状況が可能となるのです。
“ 手拍子をとって歌を歌う ” という事を考えてみます。
自分で歌うので「メロディー」の分担は自分(の口)、手拍子はリズム(打楽器)というわけです。楽譜なんてものはいりません。充分楽しめます。要素としてはメロディーとリズムを使っています。ハーモニーはありません。
手拍子でなくウクレレを使うとこれがすごくレベルアップします。手拍子ではとても出来ない複雑なリズムが打てます。もっとすごいことはメロディーにハーモニーを付けることが出来ます。ウクレレは最大4つの音が同時発音されますのでメロディーとの間でハーモニーが発生するわけです。3要素すべてが現れます。しかも演奏者の情報として最小限必要なのはコード・ネーム ( 和音名~コード名とかコード記号とか言われています ) という“ 文字表現” だけなのです。文字さえあればウクレレは弾けるのです。
この “ 文字 ” を見て弦を押さえるわけですが、ご親切なことにどう押えればよいのかは初級者レベルであれば通常図解が付いています。「ダイアグラム」です。
自分で歌う、あるいは誰かが歌う、あるいはメロディーを取ってくれる楽器があるという状況があればその伴奏に楽譜と言えるほどのものはいらないのです。コード名(文字表現)だけあれば足りるのです。自分の口と手を使って音楽を成り立たせるのです。楽譜を使わず音楽の三要素を実現できるのです。
(その11)
世に言う 「 ウクレレは敷居が低い 」 という言葉の意味は、ウクレレの、というよりギター系の楽器の親しみやすさ、機能の高さを表しています。立派な独奏楽器ですが使いようで短期間で “ 楽しめるレベル ” まで到達できるのです。ほかの楽器では考えられない事です。
大分昔の話です。ギターをちょっとやる人から、 『 ウクレレで弾けるコードは少ないんでしょう? 』 と言われたことがあります。 『 どうしてそう思うんですか 』 と問うたところ、『 弦が4本しかないじゃないですか。例えば音が5つ必要なコードは弾けないでしょう。』 と 上から目線 で言うのです。 私の答えは、 『 5つの音が必要だとしても 4音 で弾くのです。音のどれかを省略するのです。通常 「ルート(主音)」 を省略しますが 「5度」 を省略することもあります。どの音を省略するか、これがウクレレの面白さのひとつですよ』。
その人は押し黙りました。 同じギター系の楽器間でも理解不足が結構ありますね。
小ぶりながら実力を秘めた楽器 ウクレレ 、敷居が低いのはその楽器としての能力が高い証拠でしょう。楽器のおけいこは楽しくもあり辛くもありますが、楽しさ・興味の方が勝るので皆さん続けられるのでしょう。せいぜい 400g 程度の重さしかない小さな楽器、小さいながら高い機能をもつ楽器、まるでスマホのようです。スマホ的 な楽器 ウクレレ を沢山の人に楽しんでもらえたらどんなに素晴らしいだろう、といつも思っています。
(おわり)