ウクレレ(出逢い)

(その1)

君の名を呼ぶ リル 、愛の言葉を リル
9月末で終わりましたが、NHK朝ドラ 「ひよっこ」 主題歌「若い広場」(桑田佳祐)、歌詞に “ 愛の言葉を リル ” とか “ 君の名を呼ぶ リル ” とか出てきますね。これは人の名前からきているんでしょうね。例えば「上海帰りのリル」とか。
そこで私は
君の名を呼ぶ ルナ、愛の言葉を ルナ ・・・、
ルナ は私に「喜び」を与えてくれました。同時に「悩み」も与えてくれました。 
ルナは 800円 で身を売りました。
んっ!?、 『 かわいそうな話ですなんですかぁ?』

(その2)

  昭和39年秋、北東北の日本海に面した漁師町で生まれ育ったその少年は、ショーケースの前で困惑していました。そのショーケースの中に置いてある物をじっと見つめるいっぽうで頭の中では、ある楽器のイメージがぐるぐると回っておりました。
  実はショーケースの中にあったのは ウクレレ で、頭の中をぐるぐる回っていたのはギターだったのです。
  その少年は前々からギターが欲しくてたまりませんでした。おこずかいを貯めて近い将来ギターを買おうと思っていたのです。ところが目の前にあるショーケースの中のウクレレに何故だか気が引かれて立ち止まっていました。横で初老の女性が優しく微笑みながら少年を見つめていました。
  場所は東京のど真ん中、日本橋・三越百貨店の楽器売場、東北の片田舎の少年が何故ここにいるんでしょうか。

(その3)

当時、就学中の地方の少年・少女が“花の都”(東京)へ出てこれるなんてことなどめったにありません。いちばん可能性の高いのは修学旅行なんです。この少年、実は私なんですけど、高校の修学旅行での上京でした。青森から日本海周りで京都へ、大阪・奈良を経由して今度は太平洋周り(東海道本線)で東京へという、当時のこの地方の高校の一般的な修学旅行コースです。11月だったので京都の紅葉の素晴らしさが今も目に焼き付いています。そして、東海道新幹線の開業直後です、東海道本線の電車の車窓から新幹線が走っているのを目にした時は、まぁ感動して皆で歓声を上げた記憶があります。
  東京についた日の夜、横浜に就職していた次兄と宿泊旅館で待ち合わせ、当時 飯田橋 に住んでいた叔父さん宅を訪問しました。で、叔母さんが翌日の自由行動時間に東京を案内してくれることになったのです。
  上野公園で待ち合わせ、ニコライ堂へ行ったりとか数カ所を巡った最後が日本橋の三越でした。目当ては1階ロビーの吉祥天像、10年の製作期間を経て4・5年前に完成したその沢山の宝石をふんだんにちりばめた像のことは新聞のニュースなどで知っていましたから、自分でリクエストしたのかも知れません。楽器売場の前を通ったというのはまったくの偶然だったのです。

(その4)

私が迷ったのはウクレレが手の届く金額だったからでしょう。ギターはまだ手が届かないけれど、このショーケースの中に入っている「ちっちゃなギター」なら買える、これを手に入れれば何となく楽しめそうだ、ギターを楽しめるようになるにはちょっと時間がかかりそうだ、とにかく先の話だ。代りのもので欲求を満たそうか、ギターはまた考えればいいや、・・・いやいやギターが買えるまで節約したほうが良いだろう、金は貯めとけ、・・・右に左に、考えが目まぐるしく変化します。
  そして・・・、ついに買ってしまいました。ウクレレを!!。小さい楽器ですが私が買った楽器の中では一番大きいものです。壁に吊るしてあったんじゃないんです、棚に無造作に放り置かれていたものでもないのです。老舗 日本橋・三越百貨店のショーケースの中に鎮座していたのです。津軽の片田舎に住む少年から見るととんでもない代物だったのです。
  お値段です。・・・、800円 でした。  笑うなかれ!、日本橋・三越百貨店のショーケースの中に鎮座していた物なんです、本当に。
  当時の物価は例えばラーメンが 一杯50円 といったところですので高校生にとっては大金ですよ。ぴんきりではありますが現在ラーメンが700円だとすると現在の価格で1万円ちょっとといったところでしょうか。 おや!?、 う~ん、今現在 1万円 ちょっとでどんなウクレレが買えるでしょうか ? 。そうか・・・、ウクレレも当時と比較すると価格レベルが相当上がったんだね。この 800円 のウクレレがどんな楽器だったかというお話は後ですることとします。

(その5)

話はまったくそれます。ウクレレという楽器、そして価格に関連してです。私見ですが、日本で一番大きい楽器店、最高級と言われている楽器店へ行っても「おもちゃのウクレレ」が売られているのが現状です。
  残念なのは「おもちゃ」としてではなく「楽器」として売られていることです、悲しいながら。関係者は  『これは楽器です』 と言って売るわけです。 「不正義」 を 「正義」 と強弁して押し通すどこかの国の政治ぶりとよく似ています。
  だいぶ以前の話になります。都内の某老舗楽器店、音楽関係者でこの店を知らない人はいないというぐらい超有名店です。が、ここでも「おもちゃのウクレレ」が売られていました。さらにその「売り場造り」、皮肉っぽい言い方になりますが、“ どうやったらウクレレ愛好者に“ みじめな気持 ”を抱かせることが出来るか “、まるでこの店はそれをよ~く知っているよう思われました。ここの会長(故人)はアマチュア・ウクレレ団体の役員もしていましたので私の失望感も大きかったわけです。もっとも、最近その店に行ってないので改善されたかもですね。うかつなことを言うと 「営業妨害だ!」 と言われてしまいそうです。なにせそこは楽器販売業界の権威ですから。
  極々最近のはなしでは、2017年10月7日 県内某所の ララ・ポート の中を歩いていたら 某楽器店(県内では最大手の楽器販売会社) の店頭で ¥2、350ー のウクレレの入った段ボール箱が展示品とともに山のように積んいるのを目にしました。 ¥2,350- ですよ~。

(その6)

高校2年の秋にウクレレを買いました。凝り性の私です、すぐ夢中になりました。おそらく市販の教則本を買ったんだと思いますが、いずれにしても独習です。教室で講師に教わることになるのはウクレレを弾くことを再開した50才代も半ばを過ぎてからのことです。普通の人はそろそろ楽器を止める頃ですね。晩生(おくて)の私はその時初めて自分以外の人がウクレレを弾くのを見て、聴いて、そして一緒にひいたのです。それまでウクレレを弾いている人をまじまじとは見たことなどなかったのです。ウクレレを再開した時も「日本でウクレレなど弾いているのは私ぐらいか?」などと思っていたのです。本当に。・・・おっと、話が前後しました。
  ルナ は私に「喜び」を与えてくれました。同時に「悩み」も与えてくれました。 
  「ルナ」 、そうです、このウクレレののブランド名です。ブランド名の通りヘッドの「月(ルナ)」の形の入った紋章が印象的です。当時の業界について知るよしもないのですが、後年日本のトップメーカーの社長(現会長)さんにうかがったところ、 『 ルナ は最初 800円 でした。 』 と言っていました。当時の国内トップブランドだったのです。
  その社長さんは当時 ルナ の後塵を拝していたのです。ちなみに、この社長さん、当時は後発でルナを追いかけるライバルの位置にあったんですが、ウクレレの需要が激減しほとんどのウクレレ・メーカーが消えていった「ウクレレ氷河期」をしぶとく生き抜き、そしてその後、生産の途絶えたルナ・ブランドが消えゆくのを惜しみ、自社ブランドとして復活させた人でもあります。

(その7)

初めての弦楽器、良し悪しを判断する知識も経験もありません。こういうものなんだと思って使っていたわけです。
  でこれは後年、経験(年数だけですが)を積んでそして何本かの楽器を所有することになって初めて分かったことなんですが、私の ルナ は総じて品質の良くない楽器だったと思います。だた注意しないといけないのは現在の品質レベルと比べると、ということです。物づくりは進歩・発展の歴史ですから現在と比べるのがかわいそうかもしれません。ハワイでウクレレが商業的に生産されるようになったのが1910年代といわれていますから、当時は未だ50年程度しか経っていないのです。数百年の歴史を持つクラシックの楽器とは比べられません。
  かの“有名”な現在のトップメーカーでも十数年前までの品質はお世辞にも良いとは言えませんでした。“ ウクレレを始めたい ” という人に「買ってきて」と頼まれることも多かったわけですが、「 こんなものを買ってあげてよいものか?」 と悩んでしまうことも多かったのです。品質の “ばらつき” が大きかったのです。まあ、手作業の部分が圧倒的に多く工業製品とは言えないウクレレですから仕方のない面もありますが・・・。
  逆に言うと「大当たり」もあるということなんですね。ウクレレのベテランが 「昔のウクレレは音が良かった」 と懐かしむのは、品質のばらつきが大きかったことの一側面でもあります。
  日本のトップメーカーの名誉のために行っておきます。、現在は品質が十数年前とは比べ物にならないほど向上しました。品質のばらつきがほとんどありません。逆に言うと「大当たり」はなくなったということなんですけどね。

(その8)

その頃はチューニング・メーターなどありませんから調子笛とか音叉を使ってチューニングです。これには苦労しました。寝る前にチューニングしようとするものならもう寝られません。思い出しながら書いているのですが理由は二つあったと思います。
  ひとつは ペグ 、原始的フリクション・ペグ 要するに 木製の くさび でした。強くねじ込むだけです、ボルトも何もありません。そしてフレット・ワイアー(ネックに打ち込んである金属)の位置、指板がなく、ネックに直接打ち込んであるわけですがその精度は大分怪しかったのです。
  でも、当時はメロディーを弾くことが主ではありません。アンサンブルやウクレレ・ソロは珍しかったし、ほとんどの人はそういうものを聴いたこともなかったのです。コード伴奏が主で、ウクレレはハワイで生まれ育った訳ですからフラソングを演奏することも多いわけです。それであまり音の精度が要求されなかったんだと思います。悪く言えば 「ごまかしのきく楽器」 だったのです。こう言うとフラソングのファンに叱られそうですが、フラソングは音楽的には単純です。調子はメジャー(長調)で使用するコードはとても少ないのです。
  また私のルナ、1弦の高い位置ではちょっと強く弾くと音が割れます。微妙な力加減が要求されます。
  っとまあ、欠点も多かったと思いますが、でもウクレレの良さの第1は品質ではなくその音だと思います。
  人を優しく癒し、和ませるその音、テレビ・ラジオで音楽を聴いてもギターの音にさほどの興感が湧かない私ですがウクレレの音が聞こえると嬉しくなります。ウクレレをやっているからではないのです。20代後半はフォーク・ブームの影響でフォーク・ギターを弾いていた時期もありました。それでも日常の音生活(テレビ・ラジオなど)の中で耳に入ってくるのはウクレレの音なのです。不思議です。
 
  私はその不満足な楽器に飽きも来ず、20歳代半ばまで持ち続けていました。おそらく 私の ルナ はいろいろ欠点も持ちながらも、ウクレレらしい音であったのでしょう。
 
  自分の技量の問題は別として、楽器からくる チューニング や 音程 などでのストレスが軽く(皆無ということはないでしょう)、「ウクレレらしい音」 であれば楽器として合格でしょう。そういう面では ルナ はかなりストレスはありましたが音は良かったのでしょう。また、比較対象がないので嫌になることもなかったということもありましょう。

(その9)

年が明けると私はすぐ高校三年生、大学受験を考えていたから 「受験生」 というわけです。あまり勉強はしませんでしたが、私は「団塊世代」で「受験生ブルース」の時代を経ています。
  高校生が勉強もしないでウクレレばかり弾いているものだから、そして夜昼構わずウクレレを弾くものだから、母によく叱られました。明治生まれの母は夜に音曲を鳴らすことを嫌がりました。特に笛の時は、「魂しこ(たましこ)来る」(死者の霊がやってくる)といって忌み嫌いました。ちなみに日本三大霊場のひとつ「恐山」(青森県下北半島)、「いたこ」(女性の霊媒師)が有名ですが、ほとんどの いたこ は津軽地方の人です。歴史的には目の不自由な人の職業のひとつなのです。私の子供時代、津軽地方ではお医者さんでなく「神様」(占い・祈祷師の類)に診てもらうという人もそこそこいたのです。日常生活の中に霊的な要素が入り込んでいるという古い時代の名残りです。
  私がウクレレを買ったのは皮肉にも時代がエレキ・ブーム、そしてそのあとに続くグループサウンズ・ブームへと移行する時期と重なります。人気はギターへと移りウクレレは衰退してゆきます。「ウクレレ氷河期」の始まりです。私も高校2年生でウクレレを買わなければ後年おそらくウクレレではなくギター(おそらくエレキ)を買って弾くことになったでしょう。いやっ!でも、やはりそのうちウクレレも買って弾いていたんだとは思います。テレビ・ラジオで音楽を聴いてもギターの音には何の興感も感じない私がウクレレの音には強く耳がひきつけられるんですから。
  その 800円 のウクレレを20才代半ばまで持っていたと思います。
  2本目がヤマハのパイナップル・モデル、きちんと作られていましたが気に入りませんでした。音がきれいでもなくウクレレらしくない、面白味のないものでした。ちょっと使った程度でかみさんの従弟にあげました。
  3本目はハワイの楽器店で買ったカマカのスタンダード(ソプラノ)です。新婚旅行でハワイに行った時買ったものです。
  ところがこの カマカ を境に私はウクレレを弾かなくなってしまいました。30才も過ぎ、子供も生まれ、仕事も忙しくなり、だんだんと余暇の使い方も変わっていったんだと思います。ここからが私の20数年におよぶ 「ウクレレ空白期間」 の始まりです。私のウクレレは修学旅行で始まって、新婚旅行で終わった、ということになってしまいました。
  ルナ はどうなったのでしょうか。その運命は・・・、次回 最終回でお話しいたしましょう。

3本目のカマカ、20数年の「空白期間」があったので失くしていても不思議はないのですが、物置や押し入れの中で何とか生き延びてくれました。1970年代の製作、今では オールド・カマカ と言われているようですね。2回ドッグ入り、ペグは交換しました。でもオリジナル・ペグも 4個セット でちゃんと持っているんですよ。


(その10)

数年前、母が102才の人生を終えました。葬儀が終わり自宅に帰る前日、姉の家に泊めてもらった時のことです。私たちは一番上が姉、その下に私を含め男が4人の5人姉弟です。姉の子供(私の甥っ子です)も集まっており、天寿を全うした おばあさん(母です)の思い出ばなしなどをしながら過ごしました。
  この甥っ子は双子で両親にとっては初孫、実家に比較的近いところに住んでいたので小さい頃よく遊び相手をしました。二人とも我が家の家系の中では一番音楽的な才能があったようです。中学時代から吹奏楽部に所属し、本人たち曰く、『 渡辺貞夫の「JAZZ STUDY」(ジャズ理論書)は中学時代に読破しました』というから音楽的に早熟であったようです。現在もアマチュアではありますが兄はジャズピアニスト、弟は民間のビッグバンドでサックスを吹いています。
  その甥っ子たちが、 『 おじさんのウクレレがこの家のどっかにある 』、 というのです。
  20才代の半ば、いつの間にか手元にいなくなった ルナ 、失くしたいきさつは全く記憶になかったのですが、おそらく帰省のとき実家に持ち帰り、そのまま甥っ子たちにあげてしまっていたようです。
  そうです、私の ルナ は今も生きているんです、眠っているんです。甥っ子たちには 『 もし、出てきたらすぐ連絡して頂戴!』 と言っておきましたが、姉の家は甥っ子・姪っ子たちが使った楽器 ( ピアノ・ウッドベースをはじめ、まあ管楽器・弦楽器、ありとあらゆる楽器があると言っても過言ではありません) が家の中を埋め尽くしており、さらに姉の旦那さんが学校の先生であったので書物が山のようにあります。どこかに埋もれているんだと分かっていても探すのも大変そうです。
  まあ、太平の眠りから覚ます必要もないですね、そのまま眠っているのも良いかもです。 楽器の森の 眠れる「美女」 という風に・・・。
  いやっ、あるいは目覚めていて、ルナ のことだから、「ちょっとぉ~、あんた ピッチが狂ってるわよ~」 などと自分を棚に上げて女王様気取りで周りの楽器に文句を言っているかもですね。なんたって出自が 「日本橋・三越」 ですからね。

(終わり)

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